こないだ福山雅治の写真展に行った時に
いいな~って思ってた植田正治さんの写真が載ってたので買ってしまった。
古いけど新しい、素敵な写真がいっぱいだ!
Amazonで昨日注文した雑誌が今日届いた!
PLAYBOY6月号『世界を変えた50枚の写真』と、
7月号の『チェ・ゲバラ、ぶれない男』。
PLAYBOYって洋モノのエロ本かと思ってた!
6月号にはジョンとヨーコの素敵な写真が。
(1980年アニー・リーボヴィッツの写真。)
この写真を撮った数時間後にジョンは暗殺されたらしく
一躍有名になった写真だそうだ。
あとマラドーナの『神の手』の写真もあった。
ちなみにあたい、マラドーナと同じ誕生日!
あ、仲間由紀恵もやけどさ!
いつまでも空しさを抱えたら走れない
イカシタ大人に変わらなきゃいけない
昨日(厳密に言えば今日)、私の恋がまたひとつ終わった。
恋と言ってもお互いやっとその気持ちに気付き始めたばかりの恋で、恋と呼べるかわからないし、付き合う付き合わない以前のハナシね。
私には自信がなかった。
なのにいかにもおねーさんぶってカッコつけた言葉で終わりを提案した。
「私はあなたがそこまで想えるような価値はない!」って。「イイ男が台無しだよ!」って。
普通に笑顔だったしなんでかな?怒ってたりも泣いたりも全然してないのに歯がカタカタ鳴って可笑しかった!
出て行った後、彼は少し取り乱していた。
いつも私の家だし、彼のお家へ行くのはこれで2度目だったけど、真剣に話を出来たのは初めてだったかも。
彼の弱い部分を知ってしまった。
私は自分に自信がないのと、その彼の弱い部分が自分には理解できないのもあって、付き合うのはやめようと思った。
最初はあんなに鋭い目をしてた彼が、いつからか私を見る目が凄く優しい目に変わって行き、
髪を撫でてあげるとまるで膝の上に寝てるワンちゃんみたいだった。
チューをせがむ顔がすごくかわいくて、一瞬もう会わないって切り出すのはまた今度にしようとか思ってしまっていた。
しかし偶然が偶然を呼んで、お互いが真剣に話す機会を持てるようになり、今日の結果に至った。
私にはたま~に神がかり的な?って言ったら変だけど、そーゆー力が降ってくる。
神様が「あんた、またハマって周りが見えなくなってんじゃないの!?」って注意してくれてるみたいに。
結論的に、お互い友達として仲良く相談しあったりする仲に、という結果に達した(無理だけど)。
でもいつ、どの瞬間で、彼がこんな年上の私のことを好きになってくれたのか、聞きたかった。
私もそう聞かれると解らない。私の場合は生涯たった2度目の一目惚れってのが大きかったけどね。
職業で彼をとっても強い人と決め付けていたけど、弱い部分を見て少しだけ愛しくなった。
だけどやっぱり私にはそれが理解できないし、経験したことなかったので偉そうにも言えなかった。
うーん、でもちょっと「元気でね」「いつでも相談してな!」ってメールの後は寂しさを感じた。
こう思っている時点で、もう情が湧いちゃってるわね!顔を見れないのが正直寂しい。
最初はあなたの事、すごいイヤなヤツで暇つぶしくらいにしか思ってなかったのに(向こうもそうかもだけど)、
人の心というものはそう簡単にいかないよね。
前回の恋愛の反省を充分に踏まえていたつもりだけど、やっぱりまだ変わりたい!
変わらなくちゃ、じゃなくて変わりたいって思えるようになりたいな。
こないだのお酒の席だってそうだけど、お酒をもう飲み会でしか飲まなくなって、お酒が弱くなっていくから仕方ないものだと思った。
「お酒は楽しく飲もう」って意識で臨めば、人様にメイワクをかけることもないし帰宅して大後悔することもないのだ(笑)。
そこからも変えて行こうかな。
でも今回はお酒のお陰でここまで心を開き合えたのがあるんだ。
時には酔った勢いも必要。でもお酒呑まない人の方が好きよ。本当に本音で話し合えるから!
でもなんか今回は考えてしまったのだけど、今恋人同士で恋愛を楽しんでいる人たちは
どうやってそー幸せになるんだ?とか、なんかそんな基本的な事まで思考しようとしている(笑)。
恋愛を忘れてしまいそう…とか言ったら殺されそうだけど(笑)、でもなんか少しそれが解らなくなった一日でした。
長くお付き合いしてる人が羨ましく感じられた夜でした。
昨日は彼の家を出て、今朝の5時まで車を走らせた。
彼が「もう一度・・・」って言ってくれたのに甘えて、戻りたいなって思ったのが本音だったけどこれでよかったのだ。
“さらば愛しき危険たちよ 夜のポケットで感じてた
お前と選んだ生き方は いつまでも忘れない
君が淋しくて辛い日は 僕をすぐに呼び出せばいい
僕が倒れて橋になろう その上を渡ればいい”
ジュンスカの曲のフレーズが流れた。
次にどこかで何かの縁で会うときは、全身全霊であなたを守れる様なあなたの女になりたいな!
そしてそれ以上に愛する人に出会いたいな!
寂しさも残るけど、でもどこか、すがすがしい気持ちでもあります。
でもやっぱ弱音、最後に吐いていい?
ちょっとサミシイ。(笑)。
ダメだ。
全然寝付けやしない。2時間もしたら目が覚めてしまう。
今の私をトニー・モンタナが見たら、きっと
ファッキン・腰抜け!
ファッキン・ゴキブリ!
ファッキン・負け犬!
ファッキン・ウジムシ!
って言われちゃうんだろうな。
(誤解のない様に言っておくと、このアル・パチーノ演じるトニー・モンタナが主役の映画、『スカーフェイス』では
「ファック」という言葉が200回以上も使われているので。ここは外国の方も多いので、あえてカタカナで。)
私はトニー・モンタナが成り上がって行く様を見ると士気を鼓舞させられる所があるからこの映画が好きだ。
トニーが夜空に浮かぶパナマ航空の飛行船の“World is yours(世界はお前の手に)”って電光文字を眺める所が特に好きだ。
だけどトニーは欲張っちゃって結局破滅しちゃったのだ。
もういいかな。私はこれ以上、欲張るのをよそうかな。
“勇気の持つ美徳”とやらをここで学ぼうか。
しかし、トニーにはこの爽やかな青い空より、マイアミのオレンジとパープルの夕空が似合うぜ。
写真に没頭しようとしたけど、心ここにあらず。
私は多分、このままだとくたばってしまいそうだ!
私の中の悪魔か天使かわからない顔のトニーが囁く。
「今なら引き返せるぜ!」
私はバカだ。
人のせいにばかりして、ちっとも素直になれず、自分の気持ちを君に伝えられない。
それどころか君の気持ちを「冗談でしょ」って軽くあしらうふりしかできなかった。
神様、どうかもう一度、チャンスをください!
片足鳥居
鳥居には
掌と掌を合わせて
ググッと押し合う
楽しい力のバランスがある
そう知ったのは
原爆の爆風で親しい半分を失った
片足鳥居を見てからだった
山王神社へのわずかな階段を上がると
片足の鳥居が立っている
迷子のように不安で
寂しさに耐えかねて座り込む
片足鳥居にはそんな
今にもズンと地面のなかに沈んでいきそうな
疲れた石の重みがあった
好きな人と手をつなぐと
そこから輪になって
ふたりの力がふたりの体をぐるぐる回る
嬉しいと楽しいが追いかけっこをしながら
背中のあたりに陽だまりを作る
きっと抱きしめられた小犬はこんな気持ち
けれども半分の鳥居はもうずっと
何かに結ばれようと差しのべたまま
今日も冷たく冬の町に立っている
(2002年11月、森本かず子さんの詩より。)
君が初めて私に「好きだ」と言ってくれた。
涙がポロって出た!どう受け止めたらいいのか分からなくて何も返事出来ないよ。
私は君から「好き」という言葉を聞けただけで、もう満足だよ。 。゚(゚´Д`゚)゜。
私の恋が、何故かここへ来て急速に動き出した!
前回の記事で書いたけど、山王神社で引いたおみくじが、そのまんまになった。
お参りをしている時にちょうど彼からメールが来て、思わず写メールしたのだ。
もう自分から終わりを告げようと、そう思っていた矢先だった。
ねぇ、片足鳥居さん。遠い長崎の地から、彼に何を伝えたの?
だけどね、私は自信がないんです。
「もーっ!長崎って路面電車走ってて右折が怖いし道は狭いし、坂が多いし・・・」
そうぶつくさ言ってた矢先、見えた。坂本町の十八銀行の突き当たり、長い石段の上に彼は立っていた。
鳥肌がたった。
長崎へはもう何度も訪れているけど、ここへ来たのは初めてだった。
1945年8月9日、長崎に投下された原爆の爆風で、爆心側の左側が吹き飛ばされてしまったものの、
右側だけは奇跡的に一本柱の状態で今現在まで残っている。
あんな惨劇に遭っても片足で一生懸命立っている姿が、つまづいて落ち込んでいた私をちっちゃくさせた!
原爆の恐ろしさを主張している強さがあるものの、何故かとてもやさしい。
それはこの鳥居が、かつては女性だけの寄付で建立されたものだからかもしれない。
この鳥居の先に、山王神社があり、そこには被爆したクスの木が立っていた。
お参りでもしようと思い境内に入る。おみくじを引いたら大吉だった。
まだ赤ちゃんの猫を大きなタライに入れて隠すように神社の裏手に連れて行く4人の少年たち。
そして被爆して片方の目を失ったらしいおじいさん。
おじいさんは私を見ると顔をそむけた。
何も言わなかったけど、片足鳥居と一緒に長崎の原爆を体験した生き証人だと感じた。
せっかく長崎まで来たのだし、長崎県美術館に福山雅治の写真展を観に行った。
『f5.6のハロー1/125のサヨナラ』という写真集が出される出されているらしい。
カメラをやっているからこの意味が解った。
私は全く彼のファンではないけど、ミーハー心も少しは働いたのもあったが、
彼の撮った「軍艦島」の写真を見たかったのだ!
彼の写真も素敵だったけど、私が特に印象に残ったのは
彼が写真を学んだ師である、故・植田正治さんの
1949年~1950年に鳥取砂丘で撮られた古い写真。
古いんだけどスーツ姿の男や着物を着た奥様が広い砂丘に立っている写真で、なんか新しい。
鳥取砂丘へは一度20代前半に訪れているのだが、また行きたくなった。
そしてやはり軍艦島も生きている限り一度は見てみたい。
彼の生まれた地・長崎の街。
どこか昔の尾崎豊を思わせる若い福山雅治と、片足鳥居の写真もあった。
長崎って、色々な意味でとても良い街だな~と思った。
1000円で見られる写真展、もし機会があれば観に行ってはいかがでしょうか?(長崎へ行く方がお金がかかる。)
と言っても明日25日で終わってしまいますが(´∀`;。
福岡では今日は土砂降りだ。きっと「長崎は今日も雨だった」んだろう。
「どうしたら僕ら 答えを見つけだせるの
どんな未来を目指すも 何処に骨を埋めるも
選択肢はいくつだってある 言うなれば自由
そして僕は微かに左脳の片隅で君を待ってる
僕の心の中に 君が確かに住んでたような気さえもする
ときたま僕は 僕の愛する人の中に君を探したりしてる」
ミスチルの桜井和寿はシーラカンスをこう歌ったけど、私にとってのシーラカンスは片足鳥居の様な、そんな気がしている。
それにしても昨日の私は・・・イタかったなぁ~。約1カ月ぶりのアルコールはキツかった。
メールの言葉で、もしかしたら全然関係のないアイツを傷つけてしまったかもしれない。
けれどこれでよかったのだ。
君は心配してメールをしてきたの?それともただ、寂しかっただけ?
君に私の写真を見せたくてたまらないけど、見せたところで君は私の写真には全く興味を示さないだろうから
絶対に見せない!
酒は呑んでも呑まれてはいけない。またしばらく自粛しようっと。
◆長くなるけど、ここに山王神社の境内の前に建っていた碑の案内板にあった話を書いておこう。
「町内会長をしていたので翌日町内のようすを見て回った。
さんさんと照り付ける真夏の太陽の下にあちこちの畑一杯に
あるいは死にあるいは生死の境をさ迷いながらうめき苦しむ多くの人々、
達者な者は重傷者の看護に一生懸命立ち働いている。
意識のある者はすべて泣いて救いを求めた。
七八〇余人の総人口のうち二〇〇人くらいは負傷はしていてもまだ生きていたし、
達者な者も一五〇人くらいはいたのだが、それから十日くらい経ったころにはばたばたと死んでいき
完全に生き残った者はわずか二〇人ぐらいに過ぎなかった。
町内一七五世帯中家族そろって完全に生き残ったのは、山王神社の舩木氏の一家族だけである。
その日朝八時ごろの空襲で町内の防空壕奥深くに入り、そのまま壕内に遊んでいて
赤ん坊に至るまで完全に助かったというのである。」
(当時の町内会長、久保忠八さんの手記『原爆記』より。)
この部屋に引っ越して来て早10カ月。
そんなに広くないし、角部屋じゃないし、北向きの部屋。
だけど部屋の窓からは、1日に何十機もの飛行機の離発着が見れる。
昼間は青い空に飛ぶ飛行機、夜はライトをピカピカに光らせた飛行機。
ドアを開ければビルに沈んでいく夕陽が見れる(←最近気付いた!)。
この部屋に引っ越して来て本当に良かった。
多分カメラをやってなかったら、そんなに意識しなかったこと。
カメラ始めて良かったよ、本当に!!!最近やっとマニュアル撮影を理解したばっかの私ですけど(´∀`;。
今日の福岡はとってもいいお天気でした。しかもすごく綺麗な満月!
地球に生まれてよかったーーーーー!モーリス・グリーンが早ぇぇんだっ!
毎日きついと思うけど、明日もみんな、頑張ろうよ!